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シャフタール・ドネツク、ブラジル人帝国の謎。そして、その崩壊は近い。

早くもプレミアリーグから逸れてしまいました。すいません。

 

今回のトピックはシャフタール・ドネツク

 

ここ出身の選手に助けられているプレミアのクラブは少なくないので、まぁやる価値はあるかなと思い、取り上げてみました。

 

記者の方はグローバルに活躍されているMichael Yokhin氏。

アメリカESPNの方だそうです。

 

global.espn.com

 

 

 

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ウィリアンはチャンピオンズリーグバルセロナ戦で素晴らしいゴールに加え、二度もポストを叩いた。

バイヤンからローンされているユベントスのダグラス・コスタは、同じくチャンピオンズリーグトッテナム戦でのセンセーショナルな逆転劇において大きな役割を担った。

フェルナンディーニョはプレミアリーグとヨーロッパにおいて歴史を残そうかというペップ・グアルディオラマンチェスター・シティにおいて絶対に欠かせない存在だ。

 

そしてこのチャンピオンズリーグで主役となっているブラジル人選手たちのある共通している点とは?

答えはシンプル。彼らは皆、ヨーロッパでのキャリアをシャフタール・ドネツクからスタートさせたのだ。

 

 

 

ブラジル人たちは今も変わらず、ウクライナ王者にとって重要な存在だ。

3週間前にフェルナンディーニョの後継者としてマンチェスター・シティの獲得候補となっているフレッドがローマを相手に素晴らしい決勝フリーキックを決めてみせたのを始め、火曜日のセカンドレグでは5人のブラジル人がスタディオ・オリンピコで先発予定だ。

シャフタールは少なくともポルトガル以外の国では、最もブラジル人が多いヨーロッパのクラブであることに疑いはない。

 

 

 

では、そこに隠れた秘密は何なのだろうか。

2002年、ダミアン・ロドリゲスとブランドンがシャフタールで初めてのブラジル人選手になったが、物語が始まったのは2004年、ミルチェア・ルチェスクが監督に就任した時。

大富豪オーナーリナト・アフメトフは、ディナモ・キエフに代わってウクライナを支配するため、このルーマニア人の専門家が適任であるとみてギャンブルをしたのだ。

それに加え、彼はシャフタールに魅力的なフットボールをすることを望み、そのヴィジョンにブラジル人選手達はピッタリだった。

ルチェスクがポルトガル語に精通していたという事実もまた決定的で、その戦略は最早明らかだった。

 

 

 

ルチェスク政権下最初のブラジル人2人は、ルチェスク本人によってもたらされた。

ジョアン・バティスタがルチェスクの指導をガラタサライで受けていた一方、ブレシアのマトゥザレムは、ルチェスクが90年代にクラブを率いていた関係から獲得できた。

ジャドソン、そして後にマンチェスター・シティで輝くことになるフェルナンディーニョとエラーノが2005年に続いた。

*既にブラジル代表に選出されていたことからフェルナンジーニョエラーノは特に重要な獲得で、共に若いブラジル人を獲得するためのブランド作りの助けとなった。

 

 

 

シャフタールは選手自身に多額の金を費やす準備が整っていた。彼らはのブラジル人スカウト達は、隠れた才能を発掘するよりも既にアンダー世代の代表で輝いている、最も才能のある神童たちに焦点を当てていた”とESPNに語るのは、https://tribuna.com/の元編集者であるオレクサンドル・トカッチ氏。

 

 

 

シャフタールはヨーロッパのトップクラブと選手獲得を競い、実際に成功させた。

彼らはとても高い給料をオファーし、その上全てがその若手ブラジル人選手たちを中心としたチームになることを説明したのだ。

ブラジル人選手たちはシャフタールに数多くのブラジル人が所属することを伝えられると、皆一様に満足した。

故に、ブラジル人選手たちはシャフタールを我が家のように感じられるだろうと期待したのだ。”

 

 

 

実際、大半のブラジル人選手たちはシャフタールで幸せに過ごし、長い年月を過ごした。

フェルナンディーニョはマンチェスター・シティ加入までの8年間、ジャドソンはサン・パウロに復帰するまで7年間をシャフタールで過ごした。

両選手は2009年、シャフタール初のヨーロッパレベルでのトロフィーとなるUEFAカップ優勝に大きく貢献した。

2007年に獲得したルイス・アドリアーノ、ウィリアン、イルシーニョもこの時期の主役で、ルチェスクは決勝のワーダー・ブレーメン戦では5人のブラジル人を先発させた。

ルイス・アドリアーノとジャドソンがゴールを決め、延長の末2‐1で勝利し、優勝した。

 

 

 

ウィリアンはシャフタールの大きな魅力を説明するにはうってつけの例で、このウクライナのクラブに加入するため、PSGのオファーを蹴ったのだ。

2010年にグレミオから加入したダグラス・コスタはニュー・ロナウジーニョと呼ばれ、マンチェスター・ユナイテッドも彼をマークしていたが、ウクライナに落ち着いた。

 アレックス・テイシェイラもかなりの数のクラブが追っていたが、ルチェスクの指導を受けることを選び、バスコ・ダ・ガマから2010年に加入した。

 

テイシェイラリヴァプール移籍の噂が多く飛び交ったが、最終的にクラブ史上最高額の放出となる€5000万で江蘇蘇寧に移籍した。

フェルナンディーニョ(€4000万)、ウィリアン(€3500万)、ダグラス・コスタ(€3000万)の放出はクラブに多額の利益をもたらしたが、ここで理解しておかなければならない重要な点は、オーナーは始めはこれらのスターを売るつもりはなかったということだ。

 

 

 

”アフメトフはシャフタールを地域の誇り、ドネツクで一番魅力的な存在にしたかった。彼はチャンピオンズリーグで成功を収め、華麗なフットボールを見たがった。ブラジル人選手は、素晴らしいドンバス・アリーナやその他のマーケティング戦略と並んで、そのコンセプトの1つだった。最初の目標はスター選手を保持することで、それが出来ない状況になるまでは売らなかった。”と語るのは、トカッチ氏だ。

 

 

 

この傑出したプロジェクトは、ウクライナ国内の政治問題によって大きな痛手を負った。

内戦、その結果最終的にドネツクを離れ、キエフに住みながらスタジアムを転々とすることになったせいで、クラブの魅力はブラジル人選手にとって以前より遥かに小さいものになってしまった。

2014年7月にはダグラス・コスタとアレックス・テイシェイラがクラブから逃げ出そうとしたが、結局説得され復帰した。

 

 

 

それからは今シーズンにコリチーバから若い右サイドバックであるドゥドゥが加入するまで、ブラジル人選手を獲得することは叶わなかった。

更にルチェスクが2016年に退任したことで、状況は更に難しいものになった。

後任のパウロ・フォンセカは主にポルトガル人だからという理由で選ばれたのにも関わらず、だ。

 

現在所属するブラジル人選手たち、フレッド、マーロス、タイソン、バーナード、イスマイリー、デンティーニョ、アラン・パトリック。

これらは全員、2014年以前に加入した選手たちだ。

もし彼らが退団すれば、シャフタールはブラジル人抜きになる可能性が高い。

 

 

”この新たなシチュエーションは、トップクラスの南米のタレントたちを獲得することを事実上不可能にさせた”トカッチ氏は語る。

 

 

全体で、2002年以来これまで29人のブラジル人がシャフタールのユニフォームを身にまとったが、ドゥドゥが最後になるのか?

私たちは、帝国の終わりを目撃している。

今期のチャンピオンズリーグでの成功は更に重要になってくる。

もしシャフタールが勝ち抜けることがあれば、少なくとも一人のブラジル人がローマで輝くことになるだろう。(結果ローマが勝ち抜け)

 

 

*フェルナンディーニョはアンダー代表、エラーノはフル代表で選出

 

 

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~感想~

 

 

シャフタール産のブラジル人といえば安定、みたいな風潮がありますけど、最初からトップクラスの若手を乱獲していたんですね。これは新たな発見でした。

 

しかし、政治問題が発端ならいくら何でも仕方ないとしか言いようがない。

 

フレッドは既に両マンチェスタークラブから注目を集めていますし、移籍は時間の問題でしょうね。

サリが率いるナポリを破ったフォンセカ監督も注目の存在です。

 

ふと思ったのが、状況が整えばシャフタールの模倣をすることが出来るのか?という。

アルゼンチンやウルグアイ、コロンビア人の乱獲って、無理なことなんですかね?

 

いずれにせよ、シャフタールのプロジェクトの今後には、また新たな展開が待っているでしょう。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。